なぜ 昔の優先席は「シルバーシート」と呼ばれていたのか?

なぜ 昔の優先席は「シルバーシート」と呼ばれていたのか?

都市部の電車には、優先席が設けられていますよね。
この優先席は、1973年(昭48)に国鉄が導入を始め、全国へと広がり現在に至っています。
優先席の利用開始にあたり、国鉄はこれを「シルバーシート」と名付けました。

今回は、この名前の由来についてのお話です。


終戦後の鉄道は、線路、車両、施設等大きな被害を受けました。
そこへ、旅客の輸送や、復興に向けての貨物需要の増加が重なり、利用者にとっても、国鉄(当時は運輸通信省)にとっても過酷な状況になっていました。

特に都市部の通勤電車は、乗車率が300%を超えていたと言われており、「酷電」とか「殺人電車」などと表現されていたのも頷けます。
(現在の乗車率一位が200%前後ですから、ちょっと想像できませんね)

そんな混雑から女性や子供を守るため、1947年(昭22)、中央線の通勤時間帯に「婦人子供専用車」を設け、運用を開始します。

これは、1973年(昭48)まで続きました。

私(管理人)の記憶では、窓に専用車の看板が掛かっていたような...
なにせ子供の頃の事なので、間違ってたらごめんなさい。


高度成長期に入ると、戦後の混乱期ほどの混雑は見られなくなりました。

国鉄では、「婦人子供専用車」に替わり、主に高齢者を対象とした優先席の導入を進めます。
そこで一般の座席と優先席との違いが判る様に、座席の色を変える事となりました。

しかし、当時の国鉄は、膨大な累積赤字に苦しんでいて、新たな色の座席用布地(モケット)を作る時間や予算がありません。
そこで、国鉄本社旅客局営業課長の須田寬氏(すだひろし:現JR東海相談役)は、在りものの布地で制作するように指示を出します。
スタッフが探し回った結果、新幹線の普通車座席で使われているシルバーグレーの布地が、浜松工場に余分にある事がわかり、これを採用する事で落ち着きました。

これが、「シルバーシート」の名前の由来です


1973年9月15日の敬老の日に、中央線の通勤電車で「シルバーシート」の利用が開始されました。
その後、他の線区や私鉄各社でも採用がされ、全国に広まっていきました。
座席の設置場所も、当時は編成の両端の車両に一か所ずつと少なめでしたが、今では各車両に設置している会社も増えています。
又、優先席だけではなく、車椅子やベビーカー用のスペースを設けた車両も多く見られる様になりましたね。


ついでの追記:
東海道新幹線の「グリーン車」と「普通車」をそれぞれ「ゴールドクラス」・「シルバークラス」と呼ぶ初期プランがあったそうです。
下の写真の様に
開業当時の0系(ライトの丸いやつです)の座席は「金」「銀」ベースにデザインされていて、そのプランの名残りが感じられます。(その他乗降用のドアや客席の仕切り扉も「金」「銀」でした)
この「普通車」用座席の「銀」の布地が「シルバーシート」に使われた訳です。

新幹線のグリーン車座席
新幹線の普通車座席

(了)