東京ドームはやっぱり野球の聖地

東京ドームはやっぱり野球の聖地

日本プロ野球歴史秘話(2)

東京都文京区小石川。
ここには、現在(2020年)読売ジャイアンツが本拠地として使用する「東京ドーム」が建っています。

実はこの土地、前身の「後楽園球場」以前から、日本の野球史にとっての「初めて」が関わった「聖地」の一つと言える土地なんです。

今回はそんなお話です。


東京ドームの正面、21番ゲート横にある「野球殿堂博物館」。
様々な資料や記念品が展示された館内の奥に、野球の発展に大きな功績のあった人を讃える「野球殿堂」があります。

長島茂雄、王貞治など200人を超える殿堂入りした人々に交じって、
平岡 凞(ひらおか ひろし)」と「河野 安通志(こうの あつし)」のレリーフが飾られています。
一般にはあまり知られていないこの2人、この土地の「野球の初めて」に大きく関わった人達なのです。

平岡 凞と小石川

平岡 凞(1856‐1934)は、1876年(明9)アメリカで鉄道車両の製造を学び、帰国しました。
留学中に「野球」を覚えた平岡は、工部省鉄道局(後の国鉄)に技師として入ると、1878年(明11)職場の仲間と野球チームを作ります。

新橋アスレチック倶楽部」と名付けられたこのチームは、アメリカのスポルティング社製のユニホームや用具を使用し、毎年の様に変わる当時最新のアメリカの野球ルールや、技術などを広めていきました。
又、鉄道用地内に専用のグラウンド(保健場)を持っていました。
当時はすでに、学生(大学)野球が盛んになり始めていましたが、「アスレチック倶楽部」は独立した「クラブチーム」として「日本で初めての本格的な野球チーム」とされています。

1890年(明23)工部省を退官した平岡は、東京市小石川の陸軍砲兵工廠の一部を借り受け、鉄道車両メーカー「平岡工場」設立します。

ここで、この土地と「初めての野球チームを作った人物が、縁を持つ事になりました。

「平岡工場」は1896年(明29)までこの地で操業した後、本所(現:錦糸町)へと移転します。
平岡 凞はこの地から去りましたが、彼が持ち込んだ野球の磁場は昭和に入った頃、再び「野球の初めて」を迎える事になります。

新橋アスレチック倶楽部のホームグラウンド「保健場」の場所については、「新橋駅」構内だったという説と、品川の「八ツ山」付近という説があります。
当時の地図を見た限り、どちらもギリギリまで海岸線が迫っており、かろうじて野球場が作れる面積が取れるのは「八ツ山」辺りかなと私(管理人)は思っています。

河野 安通志と小石川

河野 安通志(1884‐1946)は横浜で野球を始め、創世記の早稲田大学野球部で投手として活躍しました。
1905年(明38)、日本初の野球チームのアメリカ遠征にも参加し、その投げっ振りから「アイアン・コーノ」と呼ばれ、評判になったと伝えられています。
選手引退後は、早大野球部監督や簿記の講師などと務めました。

1920年(大9)河野は他2名と共に、日本最初のプロ野球チーム「日本運動協会(芝浦協会)」を設立します。
ホームグラウンドを芝浦の埋め立て地に建設し、公募で集めた選手達も揃ったチームは、翌年から本格的に活動を開始しました。
しかし、1923年(大12)の関東大震災の影響で、ホームグラウンドを失ってしまいます。
収入源を絶たれたチームは一旦解散するも、阪急電鉄に引き取られて宝塚で活動を続けましたが、1929年(昭4)遂に解散する事になりました。

1936年(昭11)「日本職業野球連盟」設立時、名古屋軍の総監督を務めていた河野は、東京の球場事情の悪さからプロ野球専用球場の必要性を感じていました。

その設立の為、「日本運動協会」の仲間と共に陸軍と交渉。
以前に「平岡工場」があった、小石川砲兵工廠跡地の払い下げ許可を受けます。
その土地に、突貫工事の末、1937年(昭12)9月に「後楽園スタヂアム(球場)」が落成しました。

ここでも、この土地と「初めてのプロ野球チームを作った人が結び付きました。

その後、河野は後楽園が経営する新チーム、後楽園野球クラブ「イーグルス」(のち黒鷲―大和と改名)の設立に尽力、総監督・常務に就任し、戦中の1944年(昭19)の解散までチームを率いていきました。

河野が設立した2チーム「日本運動協会」と「イーグルス」は、共に野球場と一体となったチームでした。
フランチャイズの理念を持った河野の考えが、こんな所からも垣間見えます。
河野安通志は、少し生まれるのが早かったのかも知れませんね。


「後楽園球場」を経て、「東京ドーム」の現在に至るまで、この土地、小石川ではファンの記憶に残るプレーや、偉大な記録が生まれ続ています。
これだけでも、この土地を「野球の聖地」と呼んでも差し支え無いと思います。

それだけで無く、「日本初の野球チーム」と「日本初のプロ野球チーム」を作った2人の男が、深く関わっていた事も加えて記憶に留めて置きたい事です。

(了)

参考文献
・『後楽園の25年』
  後楽園スタヂアム社史編纂委員会 (編)後楽園スタヂアム 1963年
・『異端の球譜 「プロ野球元年」の天勝野球団』
  大平 昌秀 (著)サワズ出版 1992年
・『幻の東京カッブス』小川 勝(著)毎日新聞社 1996年
・『日本野球史 (ミュージアム図書復刊シリーズ)』
  国民新聞社運動部(編)ミュージアム図書 2000年
・『日本で初めてカーブを投げた男―道楽大尽 平岡凞の伝記物語』
  鈴木 康允 ,酒井 堅次 (著)小学館 2000年
・『「野球」の誕生: 球場・球跡でたどる日本野球の歴史』
  小関 順二(著)草思社文庫 2017年
・『公益財団法人 野球殿堂博物館 公式ホームページ』
   http://www.baseball-museum.or.jp/