「ジャンボ」のこぶ

「ジャンボ」のこぶ

今年(2020年)7月、「ジャンボ」の愛称で親しまれている「ボーイング747型機」の生産終了が発表されました。
日本の航空会社でも多く使用され、お乗りになった方も多いと思います。

「ジャンボ」の特徴でもある2階部分の「こぶ」。(アッパーデッキと呼びます)
あの「こぶ」は乗客を乗せる為ではなく、ある理由のによって作られたものなんです。

今回は、そんなお話しです。



私(管理人)が初めて「ジャンボ」を見たのは、小学校の社会科見学で行った羽田空港でした。
見学デッキから見下せる他の飛行機とは違い、目の高さに操縦席のある「ジャンボ」の大きさに、皆で驚いたのを覚えています。

その大きさを引き立てる「こぶ」は、誕生の経緯に由来しています。
まずは、その歴史から…



「ジャンボ」誕生前

1950年代後半から本格的に始まった「ジェット旅客機」の時代。
各国の代表的な航空会社(ナショナルフラッグキャリア)が、ボーイング707やダグラスDC-8といったジェット旅客機を、続々と主要路線に投入していました。
プロペラ機に比べ、圧倒的なスピードを誇るジェット機は、順調に利用者を増やしていきます。
より速く」を求めて、「コンコルド」など超音速機の開発が始められ、次世代の「空の主役」になると目されていました。
一方で、旅客需要の増加に対し、航空会社は機体を「より大きく」する事を求め、航空機メーカーは既存の機体をストレッチ化(胴体を延長する)して対応する。
そんな時代でした。

空軍の輸送機計画

1963年、アメリカ空軍は「CX-X計画」として、新しい大型ジェット輸送機の構想を発表します。
これに、米国メーカー数社がコンペに参加し、「ボーイング」「ロッキード」「ダグラス」が最終選考に残りました。
結果、「ロッキード」案が採用され、「C-5ギャラクシー」が生まれます。

選考から漏れた「ボーイング」は、その際に得られた大型機開発の技術と、設計スタッフを「大型旅客機」開発に転用、これが「747型機・ジャンボ」誕生の契機となりました。

C5輸送機 
https://www.lockheedmartin.com/

単なるつなぎ?

この時点では前述のように、「空の主役」は「より速く」の超音速機であると考えられていましが、その開発は緒が付いたばかりで、就航までには時間が掛かる状況でした。
旅客数も増加の一途を辿っており、「より大きく」の飛行機も求められています。

そこで「ボーイング」は将来、超音速旅客機が主力となった時、余剰となるであろう「大型旅客機」を簡単な改造で「大型貨物機」に転用できるプランを考えます。

つまり、
「超音速機が出来るまでは、つなぎとして大型機でお客さんをさばいて、余ってきたら貨物機として使える飛行機を作ろう」って考えたわけですね。

「こぶ」の誕生

「大型貨物機」への改造。
これが「こぶ」のカギとなります。

「ジャンボ」は、それまでの常識を超える大きさの胴体をもつ飛行機なので、大量の貨物が搭載できます。
その中で、サイズの大きい貨物(長い)を積むケースに対応するため、「ノーズカーゴドア」が採用されます。
これは、機首部分を約90度跳ね上げる事で、機体前方からの長大貨物の搭載を可能にするものです。(下記写真参照)
この方式だと「コックピット(操縦席)」も跳ね上がる事になりますので、それを避けるため機首を2階建て構造にして、上へ設置しています。
これは、軍用輸送機にも採用されているもので、この辺は、元「CX-X計画」開発チームの本領発揮というところでしょうか。

気流を綺麗にに流すため、2階に突き出した「コックピット」の周囲をなだらかに設計し、現在の「こぶ」のあるスタイルが出来上りました。

「ジャンボ」の「こぶ」は将来を見越したデザインだったんですね。

ちなみに、「ジャンボ」の機体デザインは「ボーイング」が特許を持っています。

ボーイング747 
https://www.jal.com/
貨物型のノーズカーゴドア
https://www.jal.com/

追記:
ボーイング社は当初、緊急脱出の規則(90秒以内に全員脱出)問題から、二階部分を客席にすることは想定していませんでした。

クルーの休憩室にするつもりでしたが、「こぶ」のスペースに着目したパンナム社長:ファン・トリップの一言で旅客用ラウンジが設けられたそうです。
その後、規則の改正や安全設備の設置により、客席として利用が可能となり「こぶ」が長い派生型もつくられました。(タイトル写真)
私(管理人)が2階に乗って感じたのは、天井、幅ともに狭くなんか小型機に乗ってるみたいだなぁと、そしてエンジンが離れているので静かでいいなという事でした。
あと、ちょっと嬉しかったです。

「ジャンボ」就航とその影響

1969年に初飛行した「ボーイング747/ジャンボジェット」は、翌年パンアメリカン航空によって大西洋路線に就航しました。
各国のナショナルフラッグキャリアもそれに続き、「ジャンボ」は世界中でその姿を見る様になります。
当初、航空各社は「より大きく」とは言いつつも、巨体を持て余し空席が目立った状態でした。
これを、各種団体割引料金の導入やエコノミークラスの設定、予約システムの整備などによって徐々に解消し、富裕層の乗り物であった「飛行機」を、一般的な乗客も利用できるものにしていきました。

現在の「気軽に飛行機で海外へ」という流れの源流には「ジャンボ」の登場が大きく影響していると言っても過言ではないでしょう。

残念な事に、今回製造中止が決まった「ジャンボ」は徐々に数を減らしつつあります。
日本の航空会社では、もう運航していませんが、まだまだ国際線で飛来する機体は多いです。
遠くからでも一目で判る、あの「こぶ」のある姿。
どこかの空港で見掛けたら、目に焼き付けておきたいと思っています。

2006年 成田空港 管理人撮影
2007年 ANA整備工場 管理人撮影

ついでの追記:
747型機の愛称「ジャンボ」という言葉は”特大の”という意味の英単語ですが、これは昔アメリカのサーカス団にいた、人気者のアフリカ象の名前から採られたといわれています。 
登場時当初、あの大きさと少し愛嬌のある姿から、世間(主にマスコミ)は「ジャンボジェット」と呼んでいましたが、ボーイング社は象の重いイメージを嫌い「スーパージェット」の愛称を広めようとします。
1970年の米映画「大空港」で、整備士役のジョージ・ケネディの背景に「ボーイング747」のポスターが貼ってあり、それにしっかりと「スーパージェット」と書かれているシーンからも、ボーイングの懸命のアピールが感じられます。
しかし、「ジャンボ」の浸透具合はいかんともし難く、結局「スーパージェット」は取り下げられた様です。(ハマってますもんね)
現在では、ボーイング社の公式HPでも「ジャンボ」の記述が見られます。

(了)


参考文献:
『ジャンボ‐大量高速輸送時代の開幕 』大岡 徹夫(著)中公新書 1970年
『ボーイング747を創った男たち‐ワイドボディの奇跡』
       クライヴ アーヴィング(著)手嶋 尚(訳)講談社 2000年
『ボーイングジャパン 公式ホームページ』
            https://www.boeing.jp/
『ロッキード・マーティン 公式ホームページ』
            https://www.lockheedmartin.com/
『JAL企業サイト』
            https://www.jal.com/