「国民リーグ」って知ってますか? 中編
- 2021.02.04
- プロ野球史 野球史
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日本プロ野球歴史秘話(5):幻のリーグ編その2
1947年(昭22)春、「宇高 勲(うだか いさお)」の夢「国民野球連盟(国民リーグ)」はスタートしました。
順調に進むかと思われましたが、当初から数々の問題が発生。
さらに、思わぬ主役の降板など急転直下の事態が続出します。
今回は、そんなお話です。
初戦からトラブル!
華やかな披露パーティー2日後の1947年3月21日、「国民リーグ」は千葉県 銚子で「宇高レッドソックス」と「グリーンバーグ」による、初のオープン戦を予定していました。
しかし、この試合前とんでもないトラブルが発生していました。
パーティーの3日前、グリーンバーグ監督の「石本秀一(いしもと しゅういち)」から「リーグには参加出来ない」と電報が届いていたのです。
グリーンバーグは、出身者の多い広島で練習をしていたのですが、オーナー「藤代藤太郎(ふじしろ ふじたろう)」からの送金が滞りがちで、旅費が工面出来なかった為です。
急遽、宇高は旅費を送金しましたが、当時の鉄道事情を考えると間に合うかどうかは分からず、石本の実直さを頼りにする以外方法はありませんでした。
3月20日、連盟事務局長の「横沢三郎(よこざわ さぶろう)」は、取りあえず銚子に向かい、グリーンバーグの到着を待つことにしました。
果たして、石本はチームを率いてやって来ました。
超満員の各駅停車を乗り継ぎ、駅で夜を明かし、実に2日掛かりで到着したのです。
長旅で憔悴した選手たちを見て、横沢は「涙を抑える事ができなかった」と、後日語っています。
第一歩から混乱に見舞われた国民リーグは、この後も更なる荒波を受け続ける事になります。
管理人追記
石本の責任感と、選手たちの情熱で何とかゲームが可能になりましたが、残念ながらこの試合の記録は残っていません。
当日は、雨が降っており中止だったという説と、試合があって「グリーンバーグ」が勝ったという説があり、今後も調べていこうと思っています。
国民リーグ開幕
終戦直後、大都市でプロ野球が開催できる球場は、関東の「後楽園球場」、関西の「西宮球場」位しか無く、既存の「日本野球連盟(以下日本リーグ)」が優先使用権を持っていました。(神宮・甲子園両球場は、連合軍の管理下であった為使用できず)
前年の会談で、日本リーグの会長「鈴木龍二(すずき りゅうじ)」から、球場使用に協力する約束を取り付けていましたが、実際は「日本リーグが使っていない時は使って良い」程度の状態でした。
宇高は、日本野球が開幕する前に公式戦を始め、少しでも多くの注目を集めようと考えます。
まだ肌寒い、1947年(昭22)3月19日、約5,000人(約1万の説もあり)の観客を集め、宇高レッドソックスとグリーンバーグの開幕戦が行われました。
当時、日本リーグの試合でも人気カード以外は、1万人は入ればいい方だったそうですから、それなりに国民リーグは注目を集めていたと言えますね。
セレモニーの挨拶で宇高は、「リーグ創立に対する関係者への感謝」「将来は日本リーグとの日本一決定戦、その先のアジア選手権の構想」「ファンの熱い支持を要望」を述べ、始球式のマウンドに立ちました。
記念すべき公式戦第一戦は、3対2をもって、レッドソックスが勝利。
翌20日も後楽園で試合を行った両チームは、各地へ国民リーグを披露する巡業へ旅出ちました。
夏季リーグ 石本秀一の奮闘
7月3日、後楽園球場で、夏季リーグが開幕しました。
チーム編成が遅れていた「大塚アスレチックス」と「唐崎クラウン」が加わり、これで全4チームが揃った事になります。
ようやくここまで漕ぎつけた国民リーグですが、実はこの時にもトラブルを抱えていました。
この年の1月、グリーンバーグのオーナー藤代が経営する「日本産業自動車」が、国税局から工場の差し押さえを受け、操業がままならない状態に陥り、球団の維持が困難になっていたのです。
なんとか春の巡業はこなしたグリーンバーグでしたが、藤代は完全に経営意欲を失っており、球団は新たなスポンサーを見つける必要がありました。
ここで又、グリーンバーグ監督の石本が根性を見せます!
地方巡業の合間に、選手らとスポンサーを探して歩き回り、自身の後輩である土手 潔にチームを持ってもらう事に成功しました。
新オーナーの土手は、茨城県の結城市で「府中産業」という建築資材を販売する会社を営んでおり、チームの所在地を同地に移動させると共に、球団名を「結城ブレーブス」に変更し夏季リーグに臨むことになります。
しかし、選手がスポンサー探しをするなんてねぇ…
銚子の一件といい、石本率いるブレーブスって、一丸となった良いチームだったんでしょうね。
危機を乗り越えたブレーブスと他3球団は、後楽園球場の7試合を含む各30試合を行い、9月29日の愛知県 豊川で夏季リーグを終了しました。
成績は以下の通りです。
勝 | 敗 | 分 | 差 | |
結城ブレーブス | 20 | 10 | 0 | ― |
大塚アスレチックス | 17 | 13 | 0 | 3.0 |
宇高レッドソックス | 16 | 14 | 0 | 4.0 |
唐崎クラウン | 7 | 23 | 0 | 13 |
表彰選手
首位打者・・・・茅野秀三(宇高) .403
最多本塁打・・・倉本信護(結城) 5本
最多勝利・・・・林 直明(結城) 12勝
開催地:東京(後楽園)、宇都宮、前橋、横浜、広島、下関、福岡(北九州、香椎、春日原)、熊本、別府、弘前、八戸、新潟、直江津、豊川
急転‼ 宇高 勲 無念の退場
夏季リーグを終えた国民野球連盟でしたが、試合を消化するその裏で重大な問題が発生していました。
連盟会長の宇高が経営する「宇高産業」が、国税局から多額の財産税を課せられてしまったのです。
-戦後の厳しい経済環境の中、「プロ野球」を持つほどであるなら相当の財産があるだろう- と言うのが国税局の見解でした。
これに加えて、夏季リーグの西日本巡業のギャラを興行主に持ち逃げされたり、府中産業が経営難に陥り、宇高がブレーブスの選手の給料を払っていた事も、宇高にとって大きな痛手となっていたのです。
宇高は自身の会社の危機に際して、社業に専念せざるを得なくなり、レッドソックスを「熊谷組」に譲り、国民野球連盟会長からも退任する事を決定。
後任の会長には、アスレチックスのオーナー「大塚幸之助(おおつか こうのすけ)」を指名し、第一線から退く事態になりました。
大きな理想と情熱的な行動力で、国民リーグを作り上げた男、宇高 勲。
彼の退場は、その後のリーグの行く末を暗示させる大きな出来事でした。
追記
「熊谷組」は、当時プロ野球参入を目指し「熊谷ゴールデンカイツ」というチームを編成していました。
宇高の依頼を受け、レッドソックスとゴールデンカイツを合併。
新たに「熊谷レッドソックス」として、秋季リーグから参戦します。
「ゴールデンカイツ」とは、神話に出てくる「金鵄(きんし 金色の鳥:トビ)」の英訳で、勝利の象徴とされています。
サッカー日本代表のシンボル「八咫烏(やたがらす)」と共に、日本書紀に登場しています。
現在の読売ジャイアンツが「大日本東京野球倶楽部」からチーム名を変更した際に、候補に挙がった事もあるようです。
「東京金鵄軍」。
これはこれで、格好良いですね。
(国民リーグって知ってますか? 中編 了)
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