「国民リーグ」って知ってますか? 後編
- 2021.02.12
- プロ野球史 野球史
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日本プロ野球歴史秘話(6):幻のリーグ編その2
創設者「宇高 勲(うだか いさお)」の突然の退任を受け、「国民野球連盟(国民リーグ)」は、新たに「大塚幸之助(おおつか こうのすけ)」を連盟会長として、秋季リーグに臨みました。
関係者の奮闘もむなしく、経営上の不振は進み、リーグは存亡の危機を迎えます。
大塚は、起死回生の策を講じますがそれも叶わず、ついに「国民リーグ」は解散をする事になりました。
今回は、そんなお話です。
青色吐息の秋季リーグ
夏季リーグが終了した時点で、熊谷組の「熊谷レッドソックス」と大塚の「大塚アスレチックス」以外の2チームの経営は限界に達していました。
「結城ブレーブス」の「府中産業」は経営難が続き、宇高に代わり大塚から資金援助を受ける形になっており、「唐崎クラウン」の「唐崎産業」も宇高と同様に、国税局から査察が入り多額の税金を課され、こちらも大塚の援助に頼る状態でした。
この時点では、大塚がリーグ運営費と3チーム(アスレチックス、ブレーブス、クラウン)の費用をほとんど出していたと言ってもいいでしょう。
そんな中の10月2日、仙台で秋季リーグが始まります。
「日本野球連盟(日本リーグ)」のシーズンがほぼ終了していた事もあり、今季は集客が見込める大都市圏の後楽園球場と西宮球場を中心に各21試合を行い、12月4日までの日程でした。
地方開催が少ないのは、夏に起きた「興行主ギャラ持ち逃げ事件」のトラウマもあったのではないかと思われます。
開幕当初、新生レッドソックスへの注目もあり、数千人程度の動員がありましたが、観戦に適さない晩秋~初冬の開催時期や、対戦カードの少なさによる目新しさの減少などの理由で徐々に観客数が減り、最終戦は100人程度の入りだったそうです。
フラフラになりながらも、何とか一年間の活動を終えた国民リーグは、これから動乱のオフシーズンに突入していきます。
秋季リーグ成績
| 勝 | 敗 | 分 | 差 |
大塚アスレチックス | 15 | 6 | 0 | ― |
結城ブレーブス | 12 | 7 | 2 | 3.0 |
熊谷レッドソックス | 9 | 10 | 2 | 5.0 |
唐崎クラウン | 4 | 17 | 0 | 11 |
表彰選手
最優秀選手・・・山田 潔(大塚)
首位打者・・・・宮崎 剛(熊谷) .336
最多勝利・・・・木場 巌(大塚) 10勝
開催地:東京(後楽園)、兵庫(西宮、姫路)、仙台、名古屋、大宮、川崎
大塚幸之助の奇策
秋季リーグが終わると同時に、大塚アスレチックスを除く3チームは国民リーグからの撤退を決定しました。
その内のレッドソックスの熊谷組は社会人野球に戻り、1949年(昭24)の日本リーグ分裂時に再び、プロ野球再参入に挑戦します。(かないませんでしたが)
クラウンの唐崎産業は、プロ野球をあきらめこちらも社会人野球に転向する事となりました。
経営の脆弱さや思わぬ追徴課税、観客数の伸び悩みなど数々の問題に立ち向かった関係者達ですがここで力尽き、リーグ解散は確実なものと思われました。
が、大塚だけは違ってました。
創設時、宇高と語り合った国民リーグの理想と将来を守る為、存続のための打開策に打って出ました。
とりあえず、アスレチックスとブレーブスにリーグの優秀な選手を集め、リーグの母体を安定させると共に、集客に大きく貢献してくれるであろう日本リーグのスター選手を獲得する事を計画します。
手始めに、「太陽ロビンス」で人気のあった、エース「真田重男(さなだ しげお)」を引き抜くことに成功しました。
真田はロビンス内での人間関係に悩み、移籍を考えていたところへ破格の条件を提示されアスレチックスと契約、さっそく練習に参加します。
続いての、引き抜きは日本球界に大騒動を巻き起すものとなりました。
「読売ジャイアンツ」の「川上哲治(かわかみ てつはる)」と「東急フライヤーズ」の「大下 弘(おおした ひろし)」。
-赤バットの川上、青バットの大下- として、日本中の少年ファンを魅了していた2人スーパースターの獲得を目指して、大塚は行動を始めました。
人気球団のジャイアンツで主力を務める川上は、この話には乗りませんでしたが、フライヤーズで金銭的なトラブルを抱えていた大下は、やはり破格の条件により入団を快諾します。
国民リーグと日本リーグの間には、特に選手の移籍に関する決まり事は無かったため、これらの引き抜きは全くの合法ではありました。
しかし、”大スターの流失”という事態での日本リーグ側の妨害や報復を避ける意味で、しばらくは秘密とされていました。
しかし、ひょんなことからこの事実が発覚し、日本リーグやマスコミは大騒ぎとなります。
まぁ、いきなり出てきた新リーグが、今で言えば菅野(ジャイアンツ)や柳田(ホークス)を引き抜いたぐらいの衝撃があったでしょうから、そりゃあ大騒ぎにもなりますわな。
大映球団
この年のオフ、日本リーグの方でも混乱が起きていました。
中日ドラゴンズの主力選手数名が、一方的に退団する事態が発生していたのです。
戦後のプロ野球再開の時から、このチームではいわゆる派閥争いが起きていて、試合中にチームメイト同士が乱闘を起こすなど一触即発の状態でした。
球団は内紛の責任を取らせる形で、チーム代表の「赤嶺昌志*(あかみね まさし)」を解任しますが、彼を慕う選手たちが行動を共にしてしまい大混乱となりました。
赤嶺は子飼いの選手達を、新たにプロ野球参入を目論んでいた「大日本映画製作株式会社(大映)」の「永田雅一(ながた まさいち)」に預けます。
永田はこの選手を中心とした新球団「大映球団」を編成し、日本リーグへの加盟を申請しますが、前述の経緯もあって却下されてしまい宙に浮いた状態になってしまいました。
これを知った大塚は、経営的にも魅力的な大映球団を国民リーグに取り込もうと計画しました。
真田や大下といったスター選手の加入に加え、大映が加盟するとなれば、話題にもなり新たな大企業も名乗り出て来る可能性をにらんでの交渉でしたが、これは不首尾に終わります。
永田は、集客規模の大きい日本リーグ入りをあきらめてはいませんでしたが、宙ぶらりんの選手たちを放置するわけにはいかず、大塚が提案したアスレチックスとのオープン戦には同意をし、選手たちを九州へ送り出します。
この巡業には大映の女優たちが同行し、試合前夜は映画館でアトラクションを、試合ではチームの応援に活躍し、各地で大好評だったそうです。
確かになんか楽しそうですね。ちょっと見たかったかも⒲。
*赤嶺昌志
名古屋地区には、戦前「金鯱軍」と「名古屋軍」の2チームがあり、それぞれ「名古屋新聞」と「新愛知新聞」が経営していました。
赤嶺は「名古屋軍」で球団理事を務め、選手獲得にも手腕を発揮。
この頃に赤嶺が入団させた選手たちが、この脱走劇の中心となりました。
戦時中の新聞社統合によりこの2社が合併し「中部日本新聞」が設立されましたが、この時「名古屋軍」は経営から切り離されチームは困窮します。
赤嶺はチームの維持に奔走し、その後のプロ野球休止から戦後の再開に至るまで、選手たちを物心両面で支え硬い絆を結びます。
親代わりともいえる赤嶺と同行する事は、選手たちにとって必然だったのかも知れませんね。
今連載の冒頭で、宇高と会談した内のひとりが赤嶺本人です。
当時、連盟理事も兼任していました。
動き出した男
「国民リーグによるスター選手の引き抜き」「赤嶺一派の脱走劇」これに加えて、「日本リーグの金星スターズ経営破綻」など、このオフは日本リーグにとって問題が山積みでした。
赤嶺一派の問題は、大映の永田が経営難の「東急フライヤーズ」を買収する事で解決するかと思われましたが、東急社内の意見がまとまらず不成立。
代替案として、宙に浮いた永田の選手を東急に加入させ、その費用を大映が支払う形でまとまりました。
翌1948年(昭23)から「急映フライヤーズ」として再スタートします。
国民リーグと金星スターズの問題について、ある男が事態収集に動き出しました。
日本リーグ会長 「鈴木龍二*(すずき りゅうじ)」。
新聞記者から球界に転身した彼は、持ち前の洞察力と幅広い人脈を駆使して数々の問題を乗り越えてきた人物です。
ひと呼んで「カミソリ龍二」。
鈴木は、真田と大下両選手の奪還に取り掛かりました。
まず、正式な形で二人の契約の撤回を大塚に要請。
契約の法的正当性により大塚にこれを拒否されると、鈴木は次の手を打ちます。
川上哲治を交渉の為、大塚のもとへ送ったのです。
大塚の目の前で川上は手をつき、大下の契約撤回を懇願しました。
球界の大スターのその熱意に打たれた大塚は、撤回に同意し大下をあきらめました。
-正面突破がかなわないなら、情に訴える-
カミソリの面目躍如といったところでしょうか。
もう一人の真田に関しては、太陽ロビンスオーナー「田村駒治郎(たむら こまじろう)」が特に可愛がっていた選手であり、田村の使者が返還交渉に当たりました。
結果、契約金を全額返すことで、真田も無事チームへ戻す事が出来ました。
残る金星の問題の解消に、鈴木は「一石二鳥」の手を打ちます。
経営難の金星を、大塚に買いとらせて日本リーグに取り込み、国民リーグを解散させようというものです。
-まだ国民が貧しいこの時期、2リーグは成り立たない。何かの弾みで双方共倒れも在りうる-
そう考えた鈴木にとって、国民リーグは目障りな存在であった事は間違いないでしょう。
金星の危機は、その懸念を払う絶好のチャンスでした。
この提案を受けた当初は、国民リーグ存続にこだわっていた大塚でしたが現実問題として、大映のリーグ不参加や、真田・大下の移籍失敗などの事態が続き、先行きは暗いと思っていたでのしょう。
又、自身と同じく個人経営で球団を続けてきた、金星オーナー「橋本三郎(はしもと さぶろう)」を救いたい気持ちもあったかも知れません。
何度目かの会合の後、大塚は金星の買収に同意。
1948年2月26日。
「国民野球連盟」はついに解散する事となりました。
*鈴木龍二
国民リーグに関して、上記以外にも色々と動いています。
シーズン中の後楽園球場の週3日の使用の約束をを反故にしてみたり、ブレーブスの選手を引き抜きに、自ら結城に赴いて大塚を激怒させたり…
なんとも食えないオッサンであります。
相次ぐオーナーたちへの国税局の査察なんかにも、この人関わってんじゃないの?と思えるくらいの怪しさを持っています。
戦前から高度成長あたりまで、プロ野球を盛り上げるために表に裏に大活躍をした球界の大功労者であることは間違いありません。
この人を調べていくと、プロ野球の歴史がわかる位面白い人です。
「分不相応な夢を見ました」
国民リーグのあるオーナーが、撤退の際残した言葉です。
資金源を個人経営の会社や、個人資産に頼りプロ野球を運営するというスタイルは、その時代を考慮に入れたとしても無理があったかも知れません。
普段プロ野球に接する機会の少ない地方巡業での選手たちのプレイを、その土地の少年たちは目を輝かせて観戦していたそうです。
日本リーグに対してマイナーな存在であったとしても、その試合は彼らにとって「本物のプロ野球」であったと言えます。
一年で消えた幻のリーグでしたが、野球史の一コマとして覚えておきたい、宇高 勲と大塚幸之助たちの夢でした。
宇高 勲のその後については、番外編として記事にしました。
こちらから、どうぞ!!
↓ ↓ ↓
「国民リーグ」って知 ってますか? 番外編:『宇高旋風』再び
参考文献
『プロ野球70年史 歴史編』ベースボールマガジン社 2004年
『鈴木龍二回顧録』鈴木龍二 (著) ベースボールマガジン社 1980年
『別冊1億人の昭和史 日本プロ野球史』毎日新聞社 1980年
『プロ野球史再発掘 1~7』関三穂(編)ベースボールマガジン社 1987年
『球団消滅 幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎』
中野晴行 (著) 筑摩書房 2000年
『公益財団法人 野球殿堂博物館 公式ホームページ』
http://www.baseball-museum.or.jp/
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