蒸気機関車の「つい立て」
この間、知人から「あの蒸気機関車の前の方についてる、『つい立て』てみたいなのって何?」と聞かれました。
私(管理人)を含む「汽車好き」にとっては、知っていて当たり前のパーツですが、ご存知ない方も多いと思いますので今回のテーマに取り上げました。
今回は「蒸気機関車(SL)」の「つい立て」についてのお話です。
「つい立て」の名前と役割
この「つい立て」は「デフレクター」、日本語で「除煙版(じょえんばん)」または「煙ヨケ板」というものです。
愛好家は「デフ」なんて略して呼んでいます。
蒸気機関車が登場した頃は、まだ小型で低速だったため「デフレクター」は必要ありませんでした。
(小型の機関車をモデルとした「きかんしゃトーマス」にはついてませんね)
しかし、大型化・高速化がすすむと、運転席や客車に大量の煙が、高速で吹き込んでくるという問題が出て来ました。
また、機関車が大きくなるとボイラーも大きくなりますから、そのぶん煙突が長くできずこの状態をさらに悪化させてしまいます。(トンネルなどをくぐる為、車両の高さや幅の上限が決められているためです)
これでは、運転席からの前方視界がさえぎられ安全上の問題となってしまいますし、お客さんも、たまったもんじゃありませんね。
これらの対策として、車体前方の左右に「つい立て」状に「板」を設置し、ボイラーとの間に前方からの風を一旦抱き込んで上へ流し、煙を列車の上方へ逃がすという仕組みが、1920年代のドイツで開発されました。
これが「デフレクター」です。
日本の鉄道でも、煙突の形や車体の形状を変えるなど試行錯誤をしていましたが、結局このドイツ方式が効率とコストの面で最良とされ、1931年(昭6)年製造の「C54型」から採用されています。
「デフレクター」には種類がいくつか
こうして採用された「デフレクター」は、「C54型」以降に製造される蒸機関車に、原則として標準装備されました。
「C54型」以前に製造された機関車でも、高速運転やトンネルが多い区間で使用されるものには、順次取り付けられていきました。
比較的低速で使用されるものや、バックで使用されることの多い一部の形式は、最初から「デフレクター」を装備しないで製造されました。
また、「デフレクター」付きで登場した機関車の中には、貨車や客車の入れ替えなどで使用するためにわざわざ取り外したものも存在しました。(吹田のD51が有名でした)
初期の「デフレクター」の形は、上部を折り曲げた一枚板状でしたが、形式によってはメンテナンスの時に邪魔になる事もあり、点検用の窓を開けたタイプに改造されたものも多くあります。
「デフレクター」のおかげで煙による運転席からの視界不良は軽減されましたが、今度は「デフレクター」自身が見通しの邪魔になるという問題が出て来ました。
「デフレクター」は機関車の上部の風の流れを制御するもので、極論すると上の方だけあれば一枚板である必要はありません。
問題の解決のため、邪魔になる下半分をカットし、細い支柱を立てて上部のみ「板」を取り付けるタイプの「デフレクター」が登場してきます。
これは、国鉄の標準設計ではなく、その機関車を使用する線区の事情によって、それぞれ独自のタイプがつくられました。
中でも、門司鉄道管理局の機関車に付けられた「通称:門デフ」(小倉工場で開発されたので「小工デフ」とも)、鳥取・後藤工場の「通称:後工デフ」、長野工場の「通称:長工デフ」などは数も多く、見た目のスマートさも相まって人気が高いタイプです。
それ以外にもお召列車や、特別な列車をけん引するために「デフレクター」に装飾を施したり、雪が機関車前部に吹きだまる事を防止するために前後長を短くしたものなど、いくつかのバリエーションがあります。
以下の写真は、管理人が梅小路蒸気機関車館や、その後出来た京都鉄道博物館で撮影したものです。
蒸気機関車の「つい立て」にはこんな役割があるんです。
海外の蒸気機関車をみてみると、取り付け方が違ったり、形が違ったり、大型の機関車でも付けない国があったり、結構な種類があり、いろいろと面白いです。
何かしらの折に、「蒸気機関車」を見られた時、「デフレクター」にも注目してみてはいかがでしょうか?
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