『万国博覧会』ってなに?

『万国博覧会』ってなに?

「万国博」がやって来る 2025 ①


2025年、日本に「万国博覧会(大阪・関西万博)」が帰ってきます!

日本のとっては、オリ・パラの次にやって来る世界的なイベントで、2005年(平17)の「愛・地球博」以来の開催になります。
20年。本当に久しぶりの「万博」ですね。

当時を知らない若い方には「万博ってなに?」「どんな事やるの?」という疑問も多いかと思います。

なので、今回はそこらあたりを簡単に解説していきますね。


今回は「万博」ってどんなものなのか、以下の2項目で説明します。

1.万国博覧会とは

2.万国博覧会の歴史(概要)

1. 万国博覧会とは

万国博覧会(万博)とは

「万国博覧会=国際博覧会」とは、BIE(Bureau International des Expositions/博覧会国際事務局)から正式に承認を受け、国際博覧会条約に基づいて開催される博覧会のことです。

BIEは本部をフランスのパリに置き万博の開催年や開催国を調整する国際機関で、現在約160ケ国が加盟しています。
万博のまとめ役といえる組織です。
日本も1965年(昭40)に加盟しています。

万博は国が主催をし責任をもって開催する国家イベントで、正式な外交ルートで参加国を招聘し、呼ばれた国は公式に参加する事になっています。
各国が公式に参加する世界的文化イベントとして唯一のものが、万国博覧会なのです。

万博の目的


万博開催の目的としては、国際博覧会条約で下記のように定義されています。

「博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すものをいう」(外務省ホームベージより抜粋)

これだと、なんだかよくわかりませんね。
簡単に私(管理人)なりに解釈してみると「万博とは、人類のための優れた技術や文化などの英知を世界中から集めて展示し、未来をみんなで考えるイベントである」って感じですかねぇ。

万博の種類

BIEは万博をその規模や内容によって、登録博覧会 と 認定博覧会 の2種類に分類しています。

登録博覧会(WORLD EXPO)

登録博覧会は、一般的なテーマ(特定な分野に縛られない)で開催されます。
原則として5年間は間隔を空けることになっており、開催期間は6か月以内とされています。
又、パビリオンは参加国の負担で建設する事になっています。
この区分は1996年からのもので、それ以前は 一般博覧会 と呼ばれていました。

過去に日本で開催された登録博覧会では、1970年(昭45)の「日本万国博覧会(大阪万博)」と2005年(平17)の「愛・地球博(愛知万博)」がそれに当たります。

「愛・地球博」は、様々な理由で一般博覧会ではなく後述の特別博覧会としてBIEに申請していましが、申請中の1996年の規約変更に伴い、登録博覧会に移行されています。


認定博覧会(SPECIALISED EXPO)

こちらは登録博覧会と比べると、規模が小さいものです。
特定のテーマ(例:科学、海洋など)が設定され、登録博覧会の間に1回開催できます。
1996年からは、開催期間は3か月以内、開場の面積は25万ヘクタール以内、各国への割り当ては1,000平方メートル以内、パビリオンは開催国が用意するなど細かい規定が定められました。
それ以前は 特別博覧会 と言われていたものです。

1975年(昭50)の「沖縄海洋博」、1985年(昭60)の「つくば科学万博」がこの区分に入ります。
(1996年以前の開催のため、開催期間は6か月間でした)

認定博覧会には、このほかにも 国際園芸家協会 が行う 国際園芸博覧会 のうち規模の大きいものや、イタリアのミラノで開かれる芸術祭 ミラノ・トリエンナーレ があり、BIEの承認を受けた国際博覧会として開催されています。

1990年(平2)の「花と緑の博覧会(花博)」はこちらの分類です。(期間6か月)

2.万国博覧会の歴史(概要)

万博の始まり

最初の万国博覧会が開催されたのは、1851年(嘉永4)イギリスの「ロンドン国際博覧会」です。
それまで国ごとに産業や技術を展示していた博覧会とは違い、英王室が主導して各国に参加を要請したもので、「万国博覧会」としての原型といえます。
この博覧会は好評を持って迎えられ、国内外から600万を超える人々を動員、財政的に大きな黒字を生みます。
それ以上に、国家間の戦争が多かったこの時代に於いて、国際的な交流や相互理解を進める場として大きな役割を果たしました。

日本ではまだ江戸時代。
ペリーが来るちょっと前の出来事なんですね。

この成功は各国を刺激し、これ以降は欧米を中心に国際博覧会が頻繁に開かれるようになっていきます。

1867年(慶応3)の「第2回パリ万国博覧会」からは、産業・技術中心の展示といった堅い(?)内容から、世界各国文化の紹介や芸術なども加わり、文化的イベントの性格を有するものに変化しました。
各国のパビリオンは、それぞれ自国の特徴をアピールする内容と外観で建設され、周辺には遊園地を併設、夜間まで営業するレストランがあったり、コンサートが開かれるなど、現在の万博の基本形が早くもこの時生まれています。

なんだか、楽しそうです。
 

実は 近代オリンピック が、万国博覧会 の付属大会だった頃があるんです。
第2回のパリ大会と、第3回のセントルイス大会がそれにあたります。
当時の万国博覧会では展示の優秀さに順位が付けられ、上位の者にはメダルが贈られていました。
付属のオリンピックでも同様にメダルが贈られ、そのスタイルが現在まで続いています。
あの金メダルは、万博が発祥だったんですね。


BIEの設立

1889年(明22)の「第4回パリ万国博覧会」では、シンボルタワーとして「エッフェル塔」が建設され、世界の評判を得ましたが、それに対抗するように世界最大(当時)の観覧車を作ったり、1,500を超えるパビリオンを有する広大な会場を作るなど、国威発揚の手段として、年々その規模は大きくなっていきました。

この時代、開催国や開催期間に関する明確なルールが整備されておらず、開催間隔が頻繁になったり、1年間に複数の万博が開かれていたりと、開催国はともかく参加する国の負担が大きくなっていきました。
(国同士の付き合いですからねぇ。断るのも大変だったでしょうしねぇ。)
また、一応はそれぞれの万博の主旨(建国何周年記念とか)はあるものの、内容はどれも同じ様なものが多く、大衆が飽きてしまうという懸念も出て来ました。

これらの問題を解決するため、万博の開催国や開催の年を国際的に調整する機関として、フランスの主導で1928年(昭3)に生まれたのが BIE です。
設立当初は31か国が加盟しています。

これ以降の万博は、世界の先端技術や各国文化の紹介、国際交流の祭典として、第二次世界大戦まで一定の間隔で開かれるようになりました。

万博の未来

大戦中、休止されていた万博は、1958年(昭和33年)ベルギー・ブリュッセルで復活しました。
世界的な経済復興受け、万博は順調に動員数を伸ばしていきます。

しかし、1980年代に入ると飛行機など交通機関の充実や、世界中の情報が瞬時に手に入るITの発達などにより、
~世界中の新しい技術や文化を一堂に集め展示紹介する~
という万博の基本スタイルが、価値を問われるようになり「万博不要論」までささやかれる程になりました。
事実、2000年代の万博では巨額の赤字を出したり、財政的な理由で開催を辞退する国も出ています。

そこでBIEは1994年の総会で、万博をそれまでのショーケース型のスタイルから「地球規模の課題を共有し、連帯して解決するきっかけとする(要約)」というテーマを決議をし、21世紀型の万博へのモデルチェンジをはかりました。

2005年の「愛・地球博」のテーマ「自然の叡智」や、2025年開催予定の「大阪・関西万博」テーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」を見ても、現在の万博が目指しているものがわかりますね。

未来をより良くするために、人類全体で考えるきっかけを作る国際イベント。

なんだか少し説教臭い感じもしますが、初期の万博のように誰かが作った未来を見るだけではなく、人類ひとり一人が未来を考える、そんな万博も悪くない気がします。

未来って生きる糧になりますもんね。


今回は「万国博覧会(万博)」の概要について説明しました。

なんとなくでも万博がどんなイベントで、どんな理念を持っているかおわかり頂けたら幸いです。

これからも、折に触れて「EXPO2025」や過去の博覧会についての記事を書いていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

参考文献

万国びっくり博覧会ー万博を100倍楽しむ本ー 橋爪伸也(監) 大和書房 2005年
世界最大の行事 万国博覧会 堺屋太一(著)光文社新書 2018年
経済産業省 ホームベージ https://www.meti.go.jp/
経済産業省 METI journal ONLINE https://meti-journal.jp/
外務省 ホームページ https://www.mofa.go.jp/mofaj/index.htm

『万国博覧会』ってなに?/ 「万国博」がやって来る 2025 ①  (了)