実は長ぁ~い?「スワローズ」の歴史

実は長ぁ~い?「スワローズ」の歴史

日本プロ野球歴史秘話(11)

今年(2021年)の日本シリーズは、「東京ヤクルトスワローズ」が制覇しました。
いやぁ、緊迫した試合が続き、最後まで目が離せない面白いシリーズでしたね。

今回は、見事に日本一に輝いた「東京ヤクルトスワローズ」に敬意を表して、球団の歴史をちょっと変わった観点から書いてみました。

現在のプロ野球チームで、一番長い歴史を持っているのは「読売ジャイアンツ」ですが、「スワローズ」の系譜をさかのぼっていくと、なんと明治時代(!)にまで到達するんです。
無理やりこじつけると、日本で一番歴史のある野球チームであるとも言えたりします。

「なに言ってんだ?」という声もありましょうが、まずはお読みください。

今回はそんなお話です。


国鉄スワローズ』誕生

ご存知の方も多いと思いますが、「東京ヤクルトスワローズ」の前身「国鉄スワローズ」がNPB(日本野球機構)に加入したのは1950年(昭25)のことです。

前年まで8球団で行われていたプロ野球は、チーム増加をめぐる流れの中で、2つのリーグ(セ・パ)に分裂しました。
球団数を揃えたいセ・リーグは、この年から公社となった 日本国有鉄道(国鉄)に参加を呼びかけました。

誘いを受けた当時の国鉄総裁 加賀山之雄*1(かがやま ゆきお)は、GHQの指示による大量の人員削減や、鉄道に絡む大事件の発生など暗い雰囲気の払しょくと、国鉄職員の士気高揚及び職場の一体感の増進、国民への明るい話題の提供 を目的に、プロ球団をつくることを提案します。
検討の末、法規的に国鉄本体で球団を持つことには困難があるので、国鉄の外郭団体である 交通協力会 が、運営を担当することで球団創立が決定しました。

球団のニックネーム*2決定は、国鉄職員らによる公募を行い「ホイッスル」(汽笛)、「レッドキャップス」(赤帽*3)、「弁慶」(機関車の愛称)など多くの案が寄せられました。
この中からダントツの得票を得たのが「スワローズ」。
国鉄を代表する特急列車「燕(つばめ)号」にちなんだ名前です。

「国鉄スワローズ」のセ・リーグ加盟は、昭和25年1月12日。
キャンプ開始まで、約20日しかないタイミングでしたから、他球団からの移籍や新人などの選手集めも思うようにいかず、いきなり不安な立ち上がりとなりました。

ここで急遽集められ、球団の中心となったのは、社会人野球「国鉄」の選手たちです。

プロ野球チームとして新たに誕生した国鉄スワローズは、その体内に国鉄野球の遺伝子を受け継いでいたんですね。

見方を変えると、社会人の「国鉄」がプロ野球にステップアップしたとも言えるでしょう。

注釈

加賀山 之雄(*1)
草野球「総裁チーム」の選手としても、プレイするほどの野球好きとして知られていました。
そんなことも「スワローズ」誕生にかかわる大きな要因になったのかなと思います。
「総裁チーム」。なんか強そうですね。

ニックネーム(*2)
野球史を扱った書籍などで、『ニックネームは「コンドルス」が有力だったが「混んでる」に通じるので、「スワロー(座ろう)」になった』と書かれることが多いエピソードですが、球団関係者の証言や正史の中そう語られているのを、私(管理人)は見たことがありません。(あったらごめんなさい)
なので、関係者の冗談か、当時の報道などの何らかが、独り歩きしたものであると思っています。
話としては面白いですけど。(漫才からの由来 など諸説あり)


赤帽(*3)
明治時代から昭和後半まで日本全国の駅にいた、旅客の手荷物の代わりに運搬する仕事、もしくはそれに従事する人のことです。
赤い制帽を被っていたため、こう呼ばれています。
この頃の鉄道を代表する風景のひとつです。

国鉄野球

初期のスワローズを支えた社会人野球「国鉄」。

とは言っても、50万人ともいわれた職員をかかえる当時の国鉄で、野球チームが1チームだけだった訳ではありません。
実際には、全国の鉄道管理局(東京・大阪・札幌など、会社でいうと支社)ごとや、工場などの職員たちによって構成されたチームが数多くありました。

この頃は、プロ野球や学生野球(甲子園や六大学)だけではなく、社会人チームが日本一を競う「都市対抗野球大会」や各業種の代表が集まる「日本産業別対抗野球大会」なども人気を博しており、その中でも国鉄のチームは、東鉄(東京)、大鉄(大阪)、門鉄(門司)などが強豪としての有名で、そこからプロ野球で活躍する多くの選手を生み出していきました。

そんな国鉄野球のはじまりは、日本に野球が伝わった明治時代にまでさかのぼります。

1878年(明11)、アメリカで鉄道車両の製造を学んだ鉄道局(のちの国鉄)技師 平岡 凞 (ひらおか ひろし)は留学中に野球を覚え、職場の仲間と「新橋アスレチック倶楽部(アスレチックス)」を結成しました。

これは日本初の本格的な野球チームとして、その名を野球史に刻んでいます。

つまり、「東京ヤクルトスワローズ」の系譜を辿っていくと「国鉄スワローズ」があり、そのベースに社会人野球「国鉄」の存在があって、更にずーっと行くと、明治の「新橋アスレチック倶楽部」にぶち当たる。

冒頭で、スワローズは日本で一番歴史があるチームであるとも言える。と書いたのは、こんな歴史を持っているからなんです。

そう見ると長ぁ~いでしょ?

新橋アスレチック倶楽部は平岡の退官後に解散していますが、その後引き継ぐように国鉄の各チームが明治から大正にかけて発足しました。
長い歴史を経た国鉄野球は分割民営化ののち、JR各社のチームとして社会人野球で活動しています。
現在のプロ野球で活躍している選手の中にも、新橋アスレチックスからつながるJR野球部出身者がたくさんいます。
例えば、今年の日本シリーズで活躍したオリックスの杉本裕太郎選手や、田島大樹投手なんかがそうですね。


「そりゃ違うよ」と思う方もいらっしゃるかと思います。

確かに「プロ野球」「社会人野球」と明確に区切った場合、この考え方は正しくないでしょう。
しかしながら、チームの流れや関係性を考慮にいれてみると、一概に切り分けてしまうのも違う気もしますし…

100年を超える日本野球の歴史には、こんな事情や縁が絡み合った話は沢山あります。
たまには、こんな角度でプロ野球史を見てみるのも、面白いんじゃないでしょうか?


当ブログでは「日本プロ野球」の知られざる歴史を不定期で連載しています。
これまでのお話は以下からどうぞ。

「日本プロ野球歴史秘話」

参考文献
『国鉄野球史』 「国鉄野球史」委員会(編)国鉄硬式野球連盟 1981年
『プロ野球史再発掘 1~7』関三穂(編)ベースボールマガジン社 1987年
『日本野球史 (ミュージアム図書復刊シリーズ)』 国民新聞社運動部(編)ミュージアム図書 2000年
『日本で初めてカーブを投げた男―道楽大尽 平岡凞の伝記物語』 鈴木 康允 ,酒井 堅次 (著)小学館 2000年
『プロ野球70年史 歴史編』ベースボールマガジン社 2004年

日本プロ野球歴史秘話(11)/実は長ぁ~い?『スワローズ』の歴史 (了)