錆びた晴海の鉄橋
- 2022.03.02
- 鉄道
- D60, PCコンクリート桁, ディーゼル機関車, 下路式ローゼ桁, 伸びゆく鉄道科学博覧会, 国際展示場, 日の出線, 晴海, 晴海の鉄橋, 晴海の鉄道, 晴海フラッグ, 晴海埠頭, 晴海線, 晴海運河, 晴海鉄道橋, 東京市場線, 東京都中央区, 東京都港湾局, 東京都港湾局専用線, 毎日新聞, 江東区, 深川線, 築地市場, 芝浦線, 蒸気機関車, 豊洲線, 貨物線, 越中島, 遊歩道, 鉄橋, 鉄道博, 鉄道遺構, SL
2022年3月15日追記有り
東京都中央区晴海と、江東区豊洲の間にある運河に架けられた「春海橋(晴海通り)」。
そのすぐ脇に、さび付いた鉄橋があります。
「晴海鉄道橋」というのですが、この路線は1989年(平元)に廃止となっていて、列車はやってきません。
つながる線路はすでに撤去されていて、この鉄橋だけがぽつんと取り残されています。
この鉄橋はどんな路線で、どんな列車が渡っていたのか?
解説していきたいと思います。
今回はそんなお話です。
埠頭をめぐる鉄道
この「晴海鉄道橋」を使っていたのは、東京都港湾局専用線(以下専用線)の「晴海線」という路線で、お客さんを運ぶ鉄道ではなく貨物専用の路線でした。
この鉄橋が作られた1957年(昭32)当時の物流は鉄道と海運が中心で、東京港は様々な貨物の集積地となっていました。
今(2022年)から、65年前のことです。
港に陸揚げされる貨物を各地に送ったり、船積みのために港まで運ぶには、全国的な路線ネットワークを持つ国鉄(現JR各社)と接続するのが便利ですよね。
この路線は、晴海埠頭と国鉄の越中島駅(貨物用)を結び、そこから貨物支線を経由して総武本線に乗り入れられるよう建設されました。
線路は国際展示場(現:晴海フラッグ)のあたりまで「晴海運河」沿いに伸びていました。
専用線にはこの晴海線以外にも、越中島と豊洲埠頭を結ぶ「深川線」「豊洲線」、汐留(国鉄)と日の出・芝浦埠頭を結ぶ「日の出線」「芝浦線」、築地市場へ入る「東京市場線」など東京港を囲むようにたくさんの路線がありました。
正に「埠頭をめぐる鉄道」ですね。
昭和40年代あたりまでは活況を呈していた晴海線ですが、コンテナ船やフェリーが発達すると次第に港の物流のメインはトラックへと移っていきます。
それに伴い、専用線は1985年(昭60)の日の出線・芝浦線を始めとして次々と消えていき、晴海線はこの中では一番最後まで残っていたのですが、冒頭述べた通り1989年(平元)2月10日限りで廃止されました。
私(管理人)が観察した限り、晴海線の鉄道施設は2000年代初めころまで、線路が敷かれたままアスファルトで埋めて道路にしていたり、道端に鉄道の標識が転がっていたりとなんとなく残っていましたが、以降タワーマンションが建ったり、護岸を遊歩道・公園として整備したり、オリンピック・パラリンピック関連施設が作られたりと急速に再開発が進み、その痕跡は消えてしまっています。
晴海エリアではこの「晴海鉄道橋」だけが、専用線当時を物語る鉄道遺構となっています。
昭和36年の晴海鉄道橋付近
赤い線が晴海線です
晴海線を2019年(令元)の晴海に重ねるとこんな感じです
ずいぶんと変わっています
青い機関車
晴海線は貨物専用ですのでこの鉄橋を渡っていたのは、機関車が引く貨物列車のみでした。
路線は非電化でしたから、電気機関車は走れません。
ですので、上写真のようなディーゼル機関車が主役でした。
この 青い機関車 は東京都港湾局が持っていた「D60型」というタイプで、越中島駅までの運行や貨車の入れ替えなどを中心にに使用されていたものです。
専用線には、この他にも大小さまざまなディーゼル機関車が在籍していて、それぞれの埠頭で活躍していました。
また、埠頭にある物流会社や工場にも専用の機関車がいたり、けっこう賑やかな鉄道だったといえます。
当時の東京港の忙しさが、想像できますね。
晴海線が開業したころは、まだ全国的に蒸気機関車(SL)が走ってた時代です。
開業当初、この路線の運行は国鉄が担当していて、国鉄線からのSLがそのまま晴海埠頭まで貨物列車を引いて来ていました。
晴海鉄道橋を長い貨車をひいたSLが煙をはきながら渡っている様子を想像すると、なんだかワクワクしてきます。
見たかったなぁ。
晴海線が輝いた日
1962年(昭37)晴海の国際展示場で「伸びゆく鉄道科学大博覧会(鉄道博)」が開催されました。(6月15日~7月10日)
これは鉄道開業90週年を記念し、毎日新聞社の主催で行われたもので、新旧の機関車や、新型特急列車、鉄道史上の名車両、ラッセル車などの事業用車両などが大量に展示され大好評を博しました。
これら展示車両を会場まで運び入れる重責を担ったのが、晴海線です。
青い機関車は、歴史的な機関車やピカピカの新型車を引いて、ゆっくりと晴海鉄道橋を渡りました。
普段は地味な晴海線でしたが、この列車だけは鉄道愛好家だけではなく、道行く人々からも注目されたことでしょう。
晴海線の最も輝いた日でした。
実はすごい「晴海鉄道橋」
取り残された感じの晴海鉄道橋ですが、実は歴史的な価値があるんです。
この鉄橋の特徴である真ん中のアーチ状の部分は「下路式ローゼ桁」と言いまして、橋げたと共にアーチで重さを支える構造です。
また、その前後のコンクリートの橋げたは「PCコンクリート桁」と呼ばれ、重さが掛かる方向にあらかじめ圧力を加えながら固めて強化したコンクリートを使って作られています。
重たい貨物列車が走ることに対応した、丈夫な構造となっているんですね。
「下路式ローゼ桁」「PCコンクリート桁」ともに、日本の鉄道橋としては一番最初に採用されたのがこの晴海鉄道橋なのです。
廃線から30年以上経った現在まで解体されずに残っていたのは、これらの技術史的な遺構としての意味があったためじゃないか?なんて説もあるようです。
私(管理人)はこの近くに住んでいて晴海鉄道橋は見慣れた存在なんですが、こんな背景を知ってから改めてこの橋を眺めてみると、なんだか特別なものに見えたりするから不思議です。
生まれ変わる「晴海鉄道橋」
2021年(令3)4月、東京都港湾局は晴海鉄道橋を遊歩道橋として整備することを発表しました。
これは、付近の両岸に整備された「春海橋公園」同志をつなげると共に、歴史的に価値のあるこの橋を耐震強化工事の上リニューアルを施し保存しようというものです。
工事はすでに始まっていますので、建設時の姿を見られるのは今だけということになります。
ご見学される方はお早目に!
工事の完成は、今のところ2025年(令7)を予定しているそうです。
今回は晴海と豊洲の間に架かっている「晴海鉄道橋」について説明しました。
この橋は長い間放置されてきたものですから、このままいつかは取り壊されてしまうんじゃないかと心配していましたが、今回の保存決定を知ってホッとしました。
今から晴海鉄道橋を歩いて渡れることを、楽しみに待っています。
2022年3月15日 追記分
晴海鉄道橋の改修工事が進んでいます。
工事の関係で周辺の木が伐採され、晴海線の痕跡が良く見えるようになりましたのでご紹介します。
この辺りには以前セメント工場などが建っていて、立ち入りができない場所でした。
また、樹木も多く周りの道路からもよく見えない状態でもありました。
現在は下の写真のように見通しがよくなり、晴海線の線路があった路盤が確認できます。
下の航空写真・矢印の場所が撮影地点です。
線路は鉄道橋を渡って、カーブをしながら晴海運河沿いへ向かっていました。
若干の高低差があり、手前に向かってなだらかに下っています。
写真中央の自動車が止まっている辺りに、操車場や機関庫へ向かう分岐点(ポイント)がありました。
路盤の右のコンクリートの壁は鉄道施設というよりも、高潮対策の防潮堤かと思われます。
錆びた晴海の鉄橋 (了)
参考文献 / 図版出典
『日本国有鉄道百年史』(編)日本国有鉄道 1969年~74年
『国土地理院 ホームページ』 https://www.gsi.go.jp/
『東京都港湾局 ホームページ』 https://www.tokyoport.or.jp/
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