「陸蒸気で行く 横濱への旅」

「陸蒸気で行く 横濱への旅」

鉄道開業150年

今年(2022年)は、日本で鉄道が走り始めてから150年になります。

開業時の鉄道の旅とはどんな感じだったのか、資料を元にシミュレーションしたいと思います。

現在と違うところ、変わらないところ、色々あって面白いですよ。

さぁ、ご一緒に明治の「陸蒸気の旅へ」参りましょう!

今回はそんなお話です。


明治6年 「新橋ステーション」

みなさん!
明治の東京・新橋へようこそ!

私はこの「陸蒸気で行く 横濱への旅」、ご案内役の 小太郎 と申します。

昨年(明5)開業した日本最初の鉄道を、みなさんの時代との違いなんかに触れながらご案内していきたいと思います。
みなさんの住む未来(2022年)とは少し勝手が違っていますので、これから私の申し上げますご注意をよくお聞きになり、くれぐれもトラブルに巻き込まれないようにしてくださいね。

短い時間ですが、よろしくお願いします。
  

開業時の新橋ステーション (日本国有鉄道百年写真史より)

それでは早速、出発駅の「新橋ステーション(停車場)」を見てみましょう。

この石造りの2階建ての建物は、アメリカ人建築家ブリジェンスによるものです。
この後の関東大震災で焼失してしましますが、みなさんの時代には汐留周辺の再開発の時に復元され、鉄道歴史展示室やレストランとして同じ場所に建っていますね。

この駅は、正面が銀座の方を向くように建てられています。
煉瓦街として再建中の銀座通りを抜けると、東京の商業中心地、日本橋まで簡単にアクセスできるようになっているんです。

駅を正面から見て1階右側は、上等車の乗客用や婦人専用の待合室、左側には中・下等車用の待合室となっています。
その他にも、西洋料理のレストランや、新聞や時刻表、タバコ、果物、小間物などの売店があります。
輸入物のお酒なんか置いてもあるそうですよ。

駅の2階は事務室となっています。

また、ここは鉄道の拠点となっていますから、駅の周りには車庫、機関庫、工場、転車台、官舎など鉄道関連の施設が全て揃っています。
鉄道好きの方は、時間まで見学されるのもいいのではないでしょうか?
   

明治10年頃の新橋機関車庫(日本国有鉄道百年写真史より)

発車30分前

さて、陸蒸気の乗り方なのですが、まず出札口で「(乗車)切手」「手形」「乗車札」を買います。
これらは未来で言う「きっぷ」もしくは「乗車券」のことなんですが、この時代はまだ呼び方が統一されていません。
「きっぷ(切符)」という名称が使われ始めるのは、ちょっと後の明治16年、「乗車券」の名が出てくるのは明治19年からです。
今回は「切符=切手」でご説明を続けますね。

切手は発車15分前までに購入してください。
5分前には駅の扉が閉められてしまいますから、遅れないようにお願いします。
乗り遅れた場合、その切手は無効になっちゃいますのでご注意ください。

出札口の職員が偉そうな態度をとっても、ケンカしないでくださいね。
なにせ政府のお役人ですから、この時代は仕方ないんです。
低姿勢で売ってもらってください。

料金は「上等・中等・下等」と3つのクラスがあります。
ここから横濱までは、上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘で、4歳以上12歳未満は半額です。
この時代は、下等の金額でお米が10㎏買えますから、えーっと、みなさんの時代の4000円くらいでしょうか?
お財布と相談してお選びください。
出札口は上等と、中・下等でそれぞれ窓口が違います。
    

開業の頃の乗車券
(詳細な年度は不明)
上から上等・中等・下等
上等は白色、中等は青色、下等はピンク色
国際都市・横濱へ通じる鉄道らしく、裏面には英・仏・独語で「鉄道規則を遵守」するよう書かれています。

(日本国有鉄道百年写真史より)

それから大きな荷物をお持ちの方は、預けることができます。
料金は重さ18㎏までは25銭、それ以上から36㎏までは50銭。
荷物は私たちと同じ列車で運ばれて、到着駅で受け取れます。

ダダ乗りしたり、下等の切手で上のクラスに乗ったりすると列車から降ろされたり、罰せられたりする決まりがあります。
これは未来も同様ですね。

列車内にトイレはありませんから、今のうちの済ませておいてくださいね。
確かこのあいだ、こらえ切れずに窓から…なんて人がいて10円の罰金を食らったような・・・

泥酔者も乗車を断られる場合がありますので、こちらも程ほどにお願いします。

みなさん、切手は無事に買えましたか?

それでは、改札を受けてホームに入りましょう。
混雑時は切手の番号順の入場になりますが、今日は大丈夫みたいですね。

汽笛一斉

それでは、これから乗車する列車を見学してみましょう。
    

明治13年頃の列車(日本国有鉄道百年写真史より)

まず、先頭の小さな蒸気機 関車について説明します。
こちらはイギリスのシャープ・スチュワート社製の160形「2号機関車」。
昨年(明5)の開業式で、明治天皇がお乗りになった一番列車を牽引した、記念すべき機関車です。
現在、鉄道には10両の蒸気機関車があって、全てイギリスから輸入品となっています。
    

2点とも日本国有鉄道百年写真史より

運転する機関士も全てイギリス人で、政府のお雇い外国人としてびっくりほど高い給料をもらっています。
一説によると往復旅費支給に、月給50円+諸手当。
日本人の日給が、彼らの時給と同じくらいだそうです。
まぁ、最新テクノロジーの蒸気機関車をあやつるエンジニアですから仕方ないですかねぇ。
その彼らの運転を補助する2名の機関助士は日本人が担当していて、慣れない言葉や厳しい指導に耐えながら技術を学んでいます。

次に、これから乗車する客車についてお話します。
随分と小さいことに驚かれたでしょう。
みなさんの時代の電車の長さは大体20mくらいですが、この客車は約5mしかありません。
こんなマッチ箱のようなかわいい列車から、わが国の鉄道はスタートしたんです。
こちらも全てがイギリス製です。
   

開業時の下等客車(日本国有鉄道百年写真史より)

客車には先ほどご説明したように、上等車、中等車、下等車があります。
上等車はクッション付きの座席で、定員が18名。
中等車は板張りの座席に布が敷いてあり、定員22名。
下等車は板張りのみの座席で、定員が30~36名です。
上等車以外は、お尻が痛くなるかもですが...

上等車1両、中等車2両、下等車5両と編成の両端に荷物車を連結した、10両編成です。

客車の扉は、乗客が手で開けて乗ります。
タバコが吸える車両と禁煙車がありますから、注意してください。
婦人専用の車両は男子禁制です。

それから、みなさんに少々お願いがあります。
この時代は、まだ鉄道に慣れていない人が多くいらっしゃいます。
ですから、列車のあまりの立派さに、履物を脱いで乗っちゃうお客さんが後を絶ちません。
到着駅で「草履がない!」なんてならないように、声を掛けてあげてください。
また、窓ガラスもまだ一般的ではありません。
以前に、通り過ぎる景色に思わず窓から身をのり出し、頭でガラスを割って大けがをした方がいたそうです。
そんな人を見かけたら、全力で止めてくださいね。

そろそろ、発車時刻です。
列車に乗り込みましょう。
安全のため、扉は車掌さんが外側からロックしてくれます。

さぁ、いよいよ横濱駅に向け「汽笛一斉」出発です!!

陸蒸気の旅

新橋から横濱までは29㎞、所要時間53分。
途中駅は品川、川崎、鶴見、神奈川の4つです。

旅客列車は開業時、上下線とも一日9本でしたが、乗客が増加してきたので今年(明6)の3月から1本増えました。
それ以外にも、沿線の川崎大師の縁日や、池上本門寺の御会式、隅田川の川開き、横濱港で外国船の入出港がある時など臨時列車が運転されています。
これらを含め、今年の旅客利用は約140万人と予測されています。

それに加えて、貨物列車も走ります。
小ぶりながら、なかなか忙しい鉄道だと言えるでしょう。
   

開業時の時刻・料金表(日本国有鉄道百年写真史より)

今、列車は新橋駅の構内を抜けたところです。

急に見晴らしが良くなりましたね。
外を見ていただくとおわかりの通り、列車は海の上に作られた細長い埋め立て地を走っています。
これは「高輪築堤」と呼ばれるものです。
用地を確保する際に色々と問題あって、それを避けるためこの方法が採られました。
みなさんの時代の2020年、高輪ゲートウエイ駅周辺の再開発工事中に発見された鉄道遺構が、この高輪築堤です。
この築堤は、次の品川駅の手前まで約2.7㎞続いています。
 

高輪築堤を走る列車(日本国有鉄道百年写真史より)

高輪築堤については「海を行く列車/西郷どんと陸蒸気」もお読みください。


品川駅を出てすぐ、東海道の下を通りました。
これは日本最初の立体交差と言われています。
ここは、みなさんの時代まで残っています。
そう、京浜急行がJR線を跨ぐあの橋です。
箱根駅伝のコースにもなっていますね。

ここともう一か所、東海道との立体交差がこの先の神奈川駅近くにあります。
こちらも、未来まで残っています。
  

品川の立体交差(日本国有鉄道百年写真史より)

川崎駅の手前で、六郷川を渡ります。
みなさんの時代は多摩川といいますね。

この六郷川を渡る橋は、鉄橋と言いたいところですが木製です。
てか、ここだけでなく、新橋・横濱間にある22の橋の全てが木で作られています。
当初は、輸入した鉄製で計画されていたのですが、予算を削減するため木製に変更されました。
もちろん、橋を支える橋脚の部分は石やレンガでしっかりと作られていますから、安心してくださいね。
さすがに列車本数が増えていくと、木製では耐久性に問題があるとされ、この後の明治10年に鉄製に架け替えられます。
   

工事中の六郷川橋梁(日本国有鉄道百年写真史より)

「川崎」「鶴見」「神奈川」と、みなさんの時代の東海道線と変わらないルートを通ってきました。
ここから終点の「横濱」へ向かい、列車は大きく左へとカーブしていきます。

実はこの時代の横濱駅は、みなさんの時代の京浜東北線・桜木町駅の場所にあります。
そのため「神奈川」から「横濱」に行こうとすると、その間には入り江があって陸上を通ると結構遠回りになってしまうんです。
で、これをショートカットするため、先ほどの高輪築堤のように埋め立て地を造り、線路を敷いています。
この左カーブは、この埋め立て地へ向かうためのものです。

ここは、地元の実業家・高島嘉右衛門が工事を請け負い、線路以外の土地をもらい受ける契約で完成させました。
細長い高輪築堤とちがい、こちらは長さ1.4㎞、幅75mと広大な土地です。
みなさんの時代、このあたりは彼の名をとって横浜市の高島町という町名になっていますね。
   

重要文化財「新橋横濱間鉄道之図」 クリックで拡大します(国立公文書館デジタルアーカイブより)

さて、まもなく終点の「横濱ステーション(停車場)」に到着です。

お忘れ物が無いようご注意ください。
みなさん、お疲れ様でした。
  

横濱ステーション(日本国有鉄道百年写真史より)

陸蒸気の旅は、お楽しみ頂けましたでしょうか?

お名残り惜しいですが、ツアーはここで解散となります。
どうぞ、お気を付けてお帰りください。

本日は「陸蒸気で行く 横濱への旅」にご参加いただきましてありがとうございました。
またどこかの時代で、みなさんとお逢いできることを楽しみにしております。

ご案内は、小太郎でした。
それでは!


創成期の鉄道の旅はいかがでしたでしょうか?
当時の雰囲気を、少しでも感じていただけたら幸いです。

禁煙車だったり、女性専用車両だったり、近年になって採用されたものが、すでにこの時期にあったなんて驚きですね。
現在の東海道線沿線を注意深く観察していくと、線路のルートや土地の形なんかに鉄道開業時の名残がまだそこかしこに残っています。
古地図と見比べながら、散策なんかも楽しいですよ。

鉄道150年の歴史には、まだまだ興味深い出来事が埋まっていますので、このブログでご紹介していけたらと思っています。

参考文献/写真出典
『日本国有鉄道百年史』(編)日本国有鉄道 1969年
『日本国有鉄道百年写真史』(編)日本国有鉄道 1972年
『日本の鉄道 創世記~幕末明治の鉄道発達史~』(著)中西隆紀 2010年 河出書房新社
『鉄道快適化物語ー苦痛から快楽へ』(著)小島英俊 2018年 創元社
『日本鉄道史 幕末・明治編(中公新書2269)』(著)老川慶喜 2014年 中央公論新社 
 
『国立公文書館デジタルアーカイブ』 https://www.digital.archives.go.jp/