プロ野球『百獣の王』は大変だった? 後編 ー『ライオン』の悪戦苦闘ー

プロ野球史

日本プロ野球歴史秘話(17)

 戦前に誕生するも時代に翻弄され、退場を余儀なくされた「ライオン軍」。
 戦後、福岡の地で復活し王道を歩むかと思われた「西鉄ライオンズ」。

 しかし、「百獣の王」の行く手には、まだまだ茨の道が待っていました。
 
 ここからは、ライオンたちの悪戦苦闘の歩みをたどって行きたいと思います。

 あ、前回同様、戦前の「ライオン軍」と戦後の「西鉄ライオンズ」以降は全く別の球団です。
 お間違いなく。

 今回はそんなお話です。

「プロ野球『百獣の王』は大変だった?前編」はこちらからお読みください!


 1969年(昭和44)10月。
 西鉄ライオンズのある投手が暴力団から金銭を受け取り、敗退行為を行ったことが発覚しました。
 これをきっかけに球界全体に疑惑が広がり、各球団はその調査と対応に追われることになります。
 後に「黒い霧事件」と呼ばれる、プロ野球史に大きな汚点を残す事件の始まりでした。
 
 調査が進むに連れ西鉄からも複数の選手が処分され、主力選手の永久追放や長期出場停止が相次ぎます。
 黄金時代を築いた戦力は一気に崩れ、チームは低迷。
 さらに事件によるイメージの低下も重なり、観客数も大きく減少していきました。

 球団保有の意義を失った親会社の西日本鉄道は、1972年(昭和47)ついに球団の売却を決定します。

 「百獣の王」は福岡のファンと共に、深く傷つきました。

 西鉄ライオンズから売却の意思を伝えられたパ・リーグは、新たな引き受け手探しを、元総理大臣の秘書を務めるなど幅広い人脈を持つ、ロッテオリオンズのオーナー(当時)中村長芳に一任しました。
 中村はパ・リーグの危機を救うため積極的に動き、数社から好意的な反応を得ましたが、”大人の事情その3”により全て破談となってしまいます。
 売却話が行き詰まり開幕までの準備などを考慮し、中村は私財を投じて「福岡野球株式会社」を設立。
 西鉄ライオンズを1億円(推定)で引き取り、同時にオリオンズのオーナーを辞任します。
 この費用は、中村個人の絵画まで手放して用意したそうです。
 
 しかし、抜けていく他球団の面倒も見なきゃならないなんて、中村さんも大変な役を仰せつかった(押しつけられた?)もんですなぁ。

 個人での球団経営は、さすがに無理がありますね。
 そこで中村は資金調達の一環として,ゴルフ場の開発会社「太平洋クラブ」とチームの命名権を含む提携を結び、メインスポンサーとしました。
 
 「太平洋クラブライオンズ

 「百獣の王」は他人の名を背負う事になりました

大人の事情とは
その3
1972年のオフには西鉄ライオンズ以外にも東映フライヤーズの売却が同時に起こり、リーグの先行きを不安視した各企業が尻込みしたとも言われています。
また、今とは違ってパリーグの人気は低く、収益性も関係したのではないでしょうか。

 それまでの常識を覆すカラフルなユニホームを採用するなど、開幕当初は話題を集めた太平洋クラブライオンズでしたが、戦力不足はいかんともしがたく観客動員の低迷に悩まされます
 
 その打開策として球団フロントが打った手は、”ロッテオリオンズとの遺恨を演出して話題にしよう”というやや強引なものでした。
 当初は監督やフロント同士の舌戦程度のものだったのですが、対戦を重ねていくうちに選手やファンもエキサイト。
 オリオンズ監督の金田正一も、ライオンズファンを煽るなどして雰囲気は更に悪化。
 本気の対立になっていきます。
 
 金やん、いつもマジだったからなぁ(遠い目)
 
 川崎球場では瓶や空き缶がグラウンドに投げ込まれ、平和台ではロッテ選手が観客に囲まれて動けなくなるほどの騒ぎに発展。
 太平洋クラブは福岡県警に応援を求め、選手は機動隊に守られて退出するほど異常事態となりました。

 ここら辺りで止めておけば良かったんでしょうが、球団が乱闘の写真を使い「今日も博多に血の雨が降る!」と過激なポスターを作成したことで、福岡県警が「過度に刺激的だ」と激怒。
 球団首脳は警察本部に呼び出され、厳重注意を受ける始末となりました。

 「百獣の王」 やり過ぎて怒られちゃいました。
 
 もはや“演出”の域を完全に逸脱していましたからね。
 面白かったけど。

 1974年(昭和49)オフ。
 太平洋クラブライオンズは大洋ホエールズとトレードで、江藤慎一を選手兼監督として獲得します。
 東京で開かれた移籍に関する記者会見の席上、記者にうながされた江藤が監督就任の挨拶と抱負を述べました。
 
 これに「東京で先に就任会見をするなんて、地元・福岡を軽視している!」と激怒したのが、記者クラブをはじめとする在福のマスコミ陣です。
 その後に福岡市内のホテルで改めて開かれた就任会見を、一斉にボイコットして退席するという行動に出ました。
 これに対して太平洋クラブフロントは、 「そっちがボイコットするなら、こちらは取材拒否だ!」と、マスコミ関係者を球場から完全に締め出す強硬手段で対抗します。(子供か!)

 シーズン開幕前の大事な時期に、地元のマスコミが一切報道してくれない(させない)非常に困った事態となりました。
 そこで球団は自前でニュースペーパーを発行。
 職員自らが、博多の街頭や平和台球場の入口でファンに手渡し配布するという人海戦術となりました。

 「百獣の王」 ボイコットされ、キレて、新聞刷って配る。

 最終的にはベテラン記者が仲介に奔走し手打ちとなりましたが、「迷走するライオン」を象徴する事件でした。

 1975年(昭和50)、球団は起死回生の一手として、大リーグ2,000勝の名将レオ・ドローチャーを招聘すると大々的に発表。
 コーチ陣の再編やユニホームの変更、福岡のホテルのスイートルームを改装し住居として提供するなど、受け入れ準備を整えましたが、契約直後に病に倒れてしまい来日は幻となりました。

 1977年(昭和52)、それまでの「太平洋クラブ」から「クラウンライター」にメインスポンサーが替わり、「クラウンライターライオンズ」として新たなスタートを切りましたが、経営悪化に歯止めがかからず苦難は続きます。
 遠征費や道具代は常に不足し、選手たちは支給される少ないミールマネーで洗濯代まで賄わなければならないほどでした。
 球団も費用を節約するため、無許可で球場内ににこっそり事務所を移転させて福岡市と一悶着あったり、練習には使用料が安い大学や企業のグラウンドを使うなどの努力を続けます。
 合宿所のトイレの扉さえ、自分たちで修理していたという涙ぐましいエピソードも…

 それでもライオンたちは、与えられた環境の中で黙々とプレーを続けます。

 そんな中1977年(昭和52)のドラフト会議は、法政大学・江川卓が話題を独占していました。。
 巨人への入団を熱望していた江川でしたが、抽選で交渉権を得たクラウンライターが公然と指名。
 賛否両論の大騒動に発展します。
 思いを断ち切れない江川は入団を拒否。
 会見で明かしたその理由は、なんと「九州は遠すぎる」(!)というものでした。

 長い間野球を見ていますが、”距離”が問題になった拒否理由は唯一無二じゃないでしょうか?(笑)

 スーパールーキー入団の希望も消えた1978年(昭和53)。
 チームにはもはや派手な話題作りの余力も無くなり、ついに経営は限界を迎えていた様です。
 その年のオフ、「クラウンライターライオンズ」は国土計画(西武グループ)に売却され、ホームグラウンドを福岡から埼玉に変更します。

 「百獣の王」は苦闘の末疲れ果て、その地を去る事になったのです。

 福岡にプロ野球が復活するのは、10年の歳月を経た1989年の事です。


 愛すべき「百獣の王」は、1979年(昭和54)、埼玉・所沢で「西武ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)」として新たなスタートを切りました。
 1980年代からは広岡達朗監督や森祇晶監督のもとで常勝軍団へと変貌。
 かつての「疲れ果てたライオン」は、名実ともに球界の頂点に立つ「真の百獣の王」へと駆け上がっていきました。
 
 すっかり地域の顔となった「ライオンたち」は、ようやく安住の地を見つけたようですね。

 百獣の王は今日もベルーナドームで雄々しく吠え、ファンを迎えています。


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参考文献
『プロ野球70年史 歴史編』 ベースボールマガジン社 2004年
『プロ野球史再発掘 1~7』 関 三穂(編)ベースボールマガジン社 1987年
『プロ野球復興史 ~マッカーサーから長嶋4三振まで~』 山室寛之(著)中公新書 2012年
『プロ野球「経営」全史 ~球団オーナー55社の興亡~』 中川右介(著)日本実業出版社 2021年
『球団消滅 ~幻の優勝チーム・ロビンスと田村駒治郎~』 中野晴行(著)筑摩書房 2000年
『公益財団法人 野球殿堂博物館 公式ホームページ』 http://www.baseball-museum.or.jp
『別冊1億人の昭和史 日本プロ野球史』 毎日新聞社 1980年
『ライオン株式会社 公式ホームページ』 https://www.lion.co.jp/ja/
『魔術師 決定版―三原脩と西鉄ライオンズ』 立石泰則 (著) 小学館 2002年
『消えた球団 1950年の西日本パイレーツ』 塩田芳久(著)ビジネス社 2021年
『波瀾興亡の球譜―失われたライオンズ史を求めて―』 坂井保之(著)ベースボールマガジン社 1995年

プロ野球『百獣の王』は大変だった? 後編 ー『ライオン』の悪戦苦闘ー(了)

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