企業名も都市名もなし?東京ヤクルトスワローズの歴史に刻まれた「ニックネームだけの球団」誕生秘話

プロ野球史

日本プロ野球歴史秘話(18)

現在の日本プロ野球の球団名は、「読売ジャイアンツ」や「阪神タイガース」のように「親会社または地域名(もしくは両方)+ ニックネーム」という形式が当たり前ですよね。

実はこれ、1947年(昭22)に当時の日本野球連盟が出した通達(決定)によって、一般的になったスタイルなんです。
それからの歴史の中で、たった1年だけ企業名も都市名もつかない「ニックネームだけの球団」が存在したのをご存じでしょうか?

それは何という名前だったのか?

なぜ、そうなったのか?

プロ野球史にひっそりと残る出来事に迫ります。

今回はそんなお話です。


企業名も都市名もないその球団名とは、「アトムズ」。

1969年(昭44)のわずか1シーズンだけ存在した球団名で、現在の「東京ヤクルトスワローズ」の前身にあたります。
この名前を知っているのは、オールドファンか野球の歴史に詳しい方でしょうね。

スワローズの歴史は「変遷の歴史」と言ってもいいほど球団名が変わっています。
チームの始まりであった国鉄時代から現在まで、ニックネームの変遷をパッと一覧で見てみましょう。

・1950年〜1965年途:国鉄スワローズ
・1965年 :サンケイスワローズ
・1966年〜1968年:サンケイアトムズ
・1969年 :アトムズ(★唯一の例外)
・1970年〜1973年:ヤクルトアトムズ
・1974年〜2005年:ヤクルトスワローズ
・2006年〜現在 :東京ヤクルトスワローズ

前年の「サンケイ」から翌年の「ヤクルト」へバトンが渡されるまさにその狭間、1969年だけ見事に企業名が抜け落ちていますね。

なぜそんなことが起きたのか?
次章ではそのあたりを解説しますね。

豆知識:戦前は「ニックネームだけ」も珍しくなかった
実は、戦前のプロ野球は、球団名のつけ方がかなり自由でした。
「名古屋軍」のような地域名だけ、「ライオン軍」「イーグルス」といったニックネームだけ、さらには「阪急」「南海」などの企業名だけと、まさにバラバラ。
戦後すぐのプロ野球にも「セネタース」や「ゴールドスター」といった“ニックネームだけ球団”がありました。

なぜ、1969年だけ企業名のない「アトムズ」だったのか?

その理由をごく簡単にまとめると、この時期が「産経からヤクルトへ経営の主導が移っていく途中(過渡期)」だったからということになります。

そもそものきっかけは、1968年(昭43)。
サンケイアトムズを率いていた産経の水野成夫が病を患って、産経新聞社長の座を退くことになりました。
水野は球団経営に大変積極的な人物でしたが、彼が第一線を離れたことで、産経側では「赤字を抱える球団経営を続ける機運」が薄れていきます。
そこで動いたのが、ヤクルト本社の南喜一会長です。
水野と南は旧知の間柄で、「ヤクルト本社が球団を引き受けよう」という話が進んでいきます。

1968年12月、産経とヤクルトの業務提携が発表され、翌1969年にはヤクルト本社専務だった松園尚巳がアトムズのオーナーに就任。

経営・資金面ではヤクルトが主導する一方、球団にはそれまでの産経側の体制が残り、フジテレビなどとの放送面での関係も続いていました。

ここで、「お金を出しているのなら球団名に『ヤクルト』を入れるのが自然じゃない?」って疑問も浮かびますよね。

しかし、まだ「産経の球団」から「ヤクルトの球団」へ向けて、上記の様に経営の軸足を徐々に移している段階でした。
事実、1969年の段階ではオーナーの松園自身も、球団名に「ヤクルト」を入れるかどうかをまだ決めかねていたとされています。

つまり、
産経側としては、球団経営から徐々に離れていく。
ヤクルト側も、まだ球団名に自社の名前を入れる段階ではない。
こうした両者の”一歩引いた立ち位置”が重なった結果、「サンケイアトムズ」から「サンケイ」の文字だけを外し、「アトムズ」だけとすることになりました。

一年間だけ存在したニックネームだけの球団は、こうして生まれたわけですね。

諸々の調整を経て、翌1970年(昭45)、いよいよ球団名は正式に「ヤクルトアトムズ」へと生まれ変わることになります。

さて、ここで少々視点を変えて、「アトムズ」のユニホームに注目していきましょう。

まず、なぜ球団名が「アトムズ」だったのか?
上記の球団名の変遷の通り、1966年(昭41)からのチーム名を「サンケイアトムズ」としています。
これは、当時の親会社であったサンケイ(フジサンケイグループ)のフジテレビで放映され、大ヒットしていたアニメ「鉄腕アトム」にちなんだものです。
当時としては先進的な「メディアと球団のコラボ(メディアミックス)」によって生まれたのが、この「アトムズ」という球団でした。

コラボレーションも先進的ですが、ユニホームもすごかったんです!

ベースとなったのは、1966年(昭41)のサンケイアトムズ誕生時に登場したデザイン。
実はこのユニホーム、昭和を代表する-3人の巨匠-の手によって生み出されたものなんです。

  • 手塚治虫 氏(漫画家・アニメ監督)
    説明不要の「漫画の神様」。
    自ら手がけた「鉄腕アトム」のキャラクターが球団のシンボルとして採用され、左袖には元気に空を飛ぶアトムの袖章(ワッペン)があしらわれました。
    手塚が担ったのは、ユニホームの「顔」です。
  • 亀倉雄策 氏(グラフィックデザイナー)
    1964年東京オリンピックのシンボルマークや、多数の企業ロゴマークをなどで知られる世界の巨匠。
    (現在も目にする”グッドデザイン賞”のマークも亀倉氏の作品)
    サンケイアトムズでは、ユニホーム全体のデザインをまとめ、「atoms」(オール小文字がおしゃれ!)の胸ロゴや斜体の背番号など、グラフィック面を形にしました。
  • 石津謙介 氏(VAN Jacket 創業者)
    アイビーファッションの生みの親。
    当時は「VANの紙袋を持って街を歩くことが若者の最大のステータス」と言われるほどの、熱狂を生んだカリスマです。
    そんな石津が担当したのが、ユニホームを「服」として仕上げる部分。
    帽子のデザイン(飾り紐つき!)などにも、石津らしいファッション感覚が生かされています。

手塚治虫が「アトム」を。
亀倉雄策が「デザイン」を。
石津謙介が「服」を。

それぞれの分野の巨匠が、ひとつのユニホームに力を注いだわけですね。

グラフィックの巨匠がデザインをまとめ、ファッションのカリスマが仕立て、漫画の神様が命を吹き込んだユニホーム。
著作権の関係で当ブログではその画像をご覧に入れられませんが、是非「サンケイアトムズ」や「スワローズ歴代ユニホーム」で画像検索してみてください!!

そして1969年、「アトムズ」への変更に伴い、この完成されたデザインに過渡期ならではの微調整が施されます。

前年(1968年)まで帽子にあしらわれていた特徴的な飾り紐が外されるとともに、帽子のマークもサンケイ時代の 「a」 から、ヤクルトの頭文字を加えた 「Ya」 へと変更されました。

さらに興味深いのが、「ホーム」と「ビジター」の胸ロゴと袖章です。

  • ホーム用
    胸マークは「atoms」
    袖章に「Yakult」
  • ビジター用
    胸マークは「Yakult」
    袖章に「空飛ぶアトム」

    (ホーム・ビジターとも、袖章はヤクルトのコーポレートカラー「コバルトグリーンと赤」の楕円で囲われています)

これを見ると、もうしっかり「ヤクルトアトムズ」になってますね(笑)。

昭和の巨匠3人が作った「伝説のユニホーム」の骨格を守りつつも、ヤクルトへの過渡期(大人の事情)がそこかしこに顔を覗かせる。

実に味わい深い1着ですね


「サンケイ」から「ヤクルト」へ。

球団経営の移行の狭間に1年間だけ存在した「アトムズ」ですが、「ヤクルトアトムズ」として戦った1973年(昭48)シーズンを最後にその名の歴史に幕を下ろします。
諸般の事情もあり、翌1974年(昭49)からはチーム名を再び原点である「ヤクルトスワローズ」へと戻すことになりました。

「鉄腕アトム」が駆け抜けた8年間(サンケイ時代含む)は、球団の歴史のなかでもひときわ異彩を放つ時代だったと言えるでしょう。

1969年の「アトムズ」。
それは、球団が新たな未来へ歩み出すための、不思議な「一休み」のような時間だったのかもしれませんね。

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参考文献
『プロ野球70年史 歴史編』 ベースボールマガジン社 2004年
『プロ野球「経営」全史 ~球団オーナー55社の興亡~』 中川右介(著)日本実業出版社 2021年
『プロ野球 ユニホーム物語』 文:綱島理友 絵:綿谷寛 2005年
『東京ヤクルトスワローズ公式サイト』  https://www.yakult-swallows.co.jp/
『週刊ベースボールONLINE』 https://sp.baseball.findfriends.jp/
『公益財団法人 野球殿堂博物館 公式ホームページ』 http://www.baseball-museum.or.jp

企業名も都市名もなし?東京ヤクルトスワローズの歴史に刻まれた「ニックネームだけの球団」誕生秘話(了)

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